あまりにも文書下手で、普段書きたい伝えたいことがあっても
なかなかブログアップせずにいました。
今年のゴールデンウィークは10日間という長い休日なので
海外旅行にお出かけもさぞ多いでしょうねー^^
昔話しで恐縮なんですが、私が小さかった頃、
一般人が海外に遊びに行けるなんて夢のまた夢でした。
私たち日本人が海の向こうの未知の世界を見せてくれたテレビ番組が
「兼高かおる世界の旅」でした。
日曜朝、テレビに向かって正座し、
美貌と品高いお嬢様、兼高さんが果敢におてんばに楽しく旅する世界に
どれだけ目をランランと食いついてたことか。
どれだけ日本人が強く刺激され、海外に興味を持ち、女性の生き方の指針になったことか。
最初の番組放映が戦後わずか14年の1959年からスタートしたようで、
テレビが放映されてまだ6年後。 日本人にとってその刺激度はいかほどでしょう。
あの番組を見ながら、いつか彼女のように世界を飛び回る仕事がしたい!と
小学生だったわたしの胸に強く秘めていたことをしみじみ思い出します。
カメラマンになり少なからず海外出張も何度かしてきたけれど、
到底及ぶことなく、天高く憧れの憧れの素晴らしく素敵な女性でした。
その兼高さんが今年1月5日、安らかにお亡くなりになられました。
ちょうど2年前、兼高さんと作家曽根綾子さんとの共著
「わたくしたちの旅のかたち」発行の際に
著者近影の撮影依頼をいただいたのです。
兼高さんを敬愛する担当編集者には感謝のしようがありません。
撮影する手は震えるほど興奮し、どうお話しかけていいのやら、
ふだん芸能人や文化人を撮っていても、あんなに緊張したのは初めてです。
そして、その際の写真が近親者ご葬儀のご遺影になり、
ご参列者から「いい表情ね」と、ありがたいご感想があったようです。
カメラマンになったのも兼高さんへの憧れ、これほど冥利に尽きることはありません。
カメラマンになってたくさんの地や人と出会い、
こうしてhannariを立ち上げることも出来た。
カメラマンになってよかったです。
「兼高さん、ありがとうございました」 昨日、偲ぶ会にてお伝えしてきました。
このたび、その編集者の手により
1959年発行、兼高かおる著
「世界とびある記」の新装版が発行されました。
60年前、兼高さんがワクワクしながら世界を見つめ歩いていた景色をご覧ください。
さらに海外旅行が何倍も楽しく、違った視線で世界を見ていけるのではないかしら。
右は2年前に発行された兼高かおるさん、曽根綾子さん共著。
左はわたしで、渡米してサーカス団に入団しながら作品を撮っていた時です^^へへ